努力する才能は実在する 気合いの量は問題解決にならない

努力できる才能まとめ

「努力できる才能」という言葉を、ネット上でよく見かけます。

「いやいや、才能はともかく、努力だけなら根性でできるだろ!」という否定意見と、「うーん、やっぱり努力も才能のうちなのかな…」という肯定意見の2つがブログ管理人の中で混在しています。

努力は才能なのか?そんな疑問を解決すべく、努力できる才能について調べてまとめました。

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そもそも努力とは?

おおまかな努力の定義

努力とは、目標を実現するために、心や身体を使ってつとめること。

細かな努力の定義

一般的には、外的な誘因よりも意志または意図によって維持される心的、身体的な活動と、その際に生じる主観的な緊張感をさす。ある作業をできるかぎりわずかな努力で達成しようとする傾向を最小努力の法則という。




努力できる才能についてのネット上の意見

努力しない言い訳にするのは屑だけど
ぶっちゃけ人によって一番差がつく部分でもあると思う

努力できるのも普通に才能やろ
ガチれば東大は事実やけどガチれるやつがどれだけいるかって話

「努力する才能」はおかしいと思うけど、
「自分を努力するように仕向ける才能」っていうのはあると思う
ゲームに変えてしまったり、ビッグマウスでわざと自分を追い詰めたり
「人をだます才能」があるように「自分をだます才能」っていうのもあると思うわ

普通の人間ならある程度でやめてしまうのを根気強くできるのは才能やろ

努力の才能というより、禁欲の才能というかな
集中の才能とも言うかも

ガチることはホンマ難しい

そもそも努力の仕方を間違える奴もいるよな
ひたすら辛いことを我慢しながら続けるのが努力だと思ってる奴は多そうだし
効率的な手段を見出だすのも努力の才能のうちの一つやと思うで

成功する方向に努力のベクトルとモチベーションを向け続けられるのは才能だと思うけどね。
才能ないやつは何をどう努力したらいいか思いつかないとか、明後日の方向に向かって努力したりするからな。

徒労ばかりの人生がこれほどキツイとは思わなんだ…
ガキの頃は友人とワイワイやっていれば人生楽しめた、思春期でも面白い楽しいと思うモノに貪欲で人生楽しめた
怠惰癖が治らず働きはじめて親も顕在でなくなって普通に生きるのが難しく心から楽しめるモノもなく自業自得だが努力する気力も湧かなくてただただ辛い

才能というか小中遅くても高校2年までに親がよく躾けてくれたかどうかかな
そこでサボり癖逃げ癖ついてるとニートか底辺コースしかない

頑張る事から逃げまくる、努力する才能が無い人の特徴と人生
できる人にとっては生まれつき当たり前にできる「努力」、そしてそれと同様に、できない人には生まれつき当たり前にできない「努力」...
軽度と重度の2種類の努力できない病損害がどっちも深刻で恐い
うすうす感づいている方が大部分でしょうが、「努力できない人生」の先にあるものは悲劇的なものばかりです。努力ができない人の受け...

まず不動の前提として「人の性格や好みはそれぞれみんな違う」

何かを成し遂げることにストイックな性格の人もいれば、だらけたりなまけたりするのが好きな性格の人もいる。人間には多種多様な性格があることは動かしようがない前提条件だ。



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生まれ持った性格に加えて、育った環境で形成された性格次第では、問題の解決に積極的な性格になる人もいれば、物事の解決に消極的な性格になる人もいる。

さらに努力を始めるにはどうしても「意志の力」が要る

努力意志

問題の解決に向けて努力をしようと行動するには、まず動き始める「意志の力」がどうしても不可欠。これも誰にも動かせない前提条件だと思う。布団から起きようとする意志も思考も皆無なのに、もしも体が勝手にどんどん動き出したら、それは心霊現象か精神疾患のどちらかだろう。

生まれや環境で形成された多種多様な性格の中には、この「意志の力」が決定的に欠けた、誘惑に弱かったり怠惰に流されやすい種類の性格が必ず存在すると考えるべき。

努力を途中で止めない意志の継続や計画性など、努力を完遂する過程には色々な場面で「意志の力」が必要になってくる。

誘惑に弱かったり怠惰に流されやすい種類の性格の人は「意志の力」に欠け、つまり「努力するための能力が無い(=努力の才能が無い)」ということになる。

努力できる人や成功者は自身の「努力の才能」を実感できない

努力才能

成功者の言葉しかこの世に残らないから「やればできる」が格言になる

成功者が語る事は、結果を出した事に理由付けしているというのが半分ぐらいだと思う。アスリートもまずその体に生まれるかどうかが99%。そして選ばれた人たちが努力を語る。やればできると成功者は言うけれど、できる体に生まれる事が大前提

(陸上競技者・為末大の言葉)

努力にも才能はいるんだよ
その才能を持ってる奴はそれが才能だと気付かない
だから俺でも出来るんだからお前も努力すればとか言っちゃう
才能がなけりゃ努力なんか出来ないんだよ
どう努力すればいいかも分からないし
仮に教えて貰ったとしてもそれが続かない
それでより一層努力なんか無駄と思うようになる
負の連鎖だな

努力できる性格に生まれついた・育った人にとっては、努力をしようと行動を始めるか行動を始めないかは「意志の有無」一つ次第だ。だから努力できる人は「努力は意志次第」だと思うようになる。

成功者にとっても同じ。成功者らは行動を始めようとする意志が有ったから行動を起こし、結果として生まれ持った才覚や運に助けられて成功した。後から考えれば「もしも努力しようと行動を始めなかったなら俺は成功できなかっただろう」思うようになるだろう。だから成功者らは「やればできる」と公言するようになる。(挑戦に失敗した人の言葉は、華やかな成功者の声に埋もれてしまって表にほとんど出てこない)

残酷な話だが、健全な「手」を生まれ持った人にとって、目の前にあるコップを掴めるか否かは「掴もうとする意志があったか無かったか」しかコップを掴めた理由として思いつかない。そして、「手」は生まれ持ったものだから、最初から身に付いているものとして当たり前すぎて、その存在感や効果やありがたみを実感できにくい。

「手」を生まれ持たなかった人達にとっては、たとえ意志が有ろうがなかろうがコップは手では掴めないのだ。(「手」は無くとも「足」で掴めばいいだろ!という考え方は置いておいて)




確かに努力は一種の才能だ じゃあその先を考えよう

努力できる才能

そもそも気合と努力でなんとかなるって風潮自体が日本の文化というかお家芸じゃん
死ぬ気でやれば何でもできる!御託はいらん、気合で突っ込め!
みたいなさ
特,攻隊もそんな感じだし
無駄でも全力で取り組むことが大事、みたいなさ

日本人は努力や根性論が好きな国民性をもつので、努力をできない人には厳しい傾向が強い。

「努力できる才能なんて無い!努力は誰でもできる!」という思い込みや努力信仰のせいで現実の実態をよく見ようとせず、ただ努力できない人達を叱咤するだけでは、問題解決の方法をはきちがえている。

なんというか…「努力すればなんでもできる!」という人々の耳に気持ちよく受け入れられる言葉や、成功者たちが自身の好感度を上げたり自伝の本をよりたくさん売るために「努力すれば必ず成功できる!」とテレビ番組で吹聴する、間違った希望や商業主義のせいで、日本中の人々の「現実の実態に対する認知」がゆがみにゆがみ、「努力の才能が無い人達」への対処方法がずっと勘違いされたままでいる現状は、ブログ管理人にとってすごく恐いのです…。

「君は残念ながら「手」を生まれ持っていなかったんだね。なるほど。じゃあ「手」の無い状態でもなんとか問題を解決できたり生きていける方法をいっしょに考えようか」

こういう考え方が努力できる才能を持たなかった人達への、現実的な解決策・救済策だと思う。



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