ネット世界ではやたらと学歴バトルが多いという現象とその原因

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「ネット世界では、やたらと学歴が信仰されたり、学歴の話題で喧嘩が起こりやすい」という現象とその原因について調査したので分かったことを報告します。

 

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ネット上での学歴信仰現象に対する、ネット民の意見

 

ネット上でやたらと学歴がもてはやされる理由は、
一言で言うと
「自己の人生で学歴しか誇るものが無い、というネットユーザーばかりだから」。

 

ネットにハマっている人は社会に出ていないニートばかりだから、
学歴というものさしでしか人生を測ることができない。
ニートは就職したことはなくても、学校に在籍していた場合は多い。

 

視野が狭すぎるせいで、
人生を左右するものは学歴!!
という意識からずっと抜け出せないでいる。
そういう幼稚な人がネットユーザーには多い、ということ。
中学~高校くらいの子どもならまだ世界観が小さいせいで学歴にとらわれすぎるけれど、
大人になれば自然と視野と世界観が広がるよね。
その域に達していない人がネットユーザーに多い。

 

ネット上には、
「何としてでも他人を叩きのめしたい、平伏させたい!」
っていうアレな人間が多い。
そういう人間達にとっては、
・知名度があってみんながそれを知っている
・偏差値というバロメーターが各大学に付加されている
という条件がある「学歴」が他人を殴るためのちょうど良い武器になるわけ。

 

高学歴で、自身の学歴に自信がある人だけが、
学歴自慢をするコメントを投稿する。
低学歴は黙っている。
上記の現象が時間経過に従ってひたすら繰り返された結果、ネット上には高学歴の人の自慢コメントばかりが残される。

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日本人って、
宗教によって得られる幸福感とか、
自分で考えて決めた自分の人生の意義とか、
他人の目に左右されない自分だけの価値観とか、
そういう方面がまるっきりダメ。
なので、年収とか、職業の肩書きとか、持ち家に住んでいるかとか、ソーシャルゲーム内でのランキング順位とか、
そういう「日本人の中で相対的に良いか悪いか」でしか自分の価値を測れない。
学歴もひんぱんに引き合いに出される比較要素。

 

「仕事に就いていないし、年収もゼロに近い。
友達もいない。
資格も無いし、才能も無い」
そういう境遇の人が最後にたどり着く心のよすがが「学歴」。
自身が高学歴なら低学歴にマウントを取るし、大卒なら高卒にマウントを取るし、高卒なら中卒にマウントを取る。

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人類のほとんどを占める「これといった才能の無い人間」にとっては、
学歴と、学歴の良し悪しによる就職先の可否によって人生の2/3位が左右されるのもまた事実。
ネット上に限らずとも、学歴はみんなにとって大きな関心事だと思うがね。

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学歴とか年収が大事なのも分かるんですけど…
でも……何かの数字で人生の勝ち負けが決まってしまうのならそれは多分……笑った数だと思います。

 

資格なんて、所詮は社会が決めた基準の一つでしかないわ。
弱いやつほどそういったものにすがるのよ、資格とか、学歴とかね。

 




ネット上に掃いて捨てるほどいる「学歴厨」の特徴

学歴厨(がくれきちゅう)の特徴

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  • 「高学歴であることを賞賛し、低学歴であることを軽蔑する」というのが学歴厨の行動原理
  • 上記の行動原理のもとに、ネットのいろいろなコミュニティーで学歴の話題を振って、空気を悪くしたり無自覚に場を荒らし続ける
  • 「旧帝」「早慶」「MARCH」「Fラン」といった、日常ではほぼ使われない特殊用語を常用する
  • 世間では一般に高学歴だと認識されている日東駒専を低学歴だと見下す。場合によってはMARCHまで低学歴だと認定する。
  • あまりにも学歴厨をこじらせると、「旧帝大と医学部医学科以外は全て低学歴」だと主張するようになる
  • 自身が修士号や博士号を持っていて大学院出であることを自慢し、最終学歴が学部卒の人達を見下す
  • 各大学の入試偏差値を逐一チェックし、大学同士の優劣を較べたり序列をつけるのが病的に好き
  • 実は自身は低学歴で、ネット上ではいつわりの高学歴を演じてイキっている場合がある
  • 学歴厨達の合い言葉は「日本には東京大学しか大学ないから」

 







「学歴を絶対視すること」は危険であり、間違いであること

 

学歴は社会で好スタートを切るためのツールでしかない

「卒業した大学名」は、大企業や優良企業に入社するうえで非常に有効に働いたり、入社後に出世コースに乗るために効果を発揮することがあります。

ただし、学歴の効力はそこまでで、以後は本人のコミュニケーション能力やストレス耐性や実務能力などの可否で進退が左右されるようになります。

多くの場合で学歴は社会で好スタートを切るためのツールに過ぎず、学歴の効力を過信することは危険です。

有名大卒という学歴を「人生全てをバラ色にしてくれる万能の道具」だと勘違いしていると、現実とのズレのせいで思わぬ失敗をしてしまうことが多発します。

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人生の価値を学歴一つに限定してしまうと自分の首を絞めることになる


たとえ自身が有名大卒であったとしても、海外には日本の大学を遙かに凌駕する学力レベルの大学がいくつも存在しています。

そういった世界的に有名な大学の大学生・卒業生の前では自信を失い、自分の価値を見出せなくなる危険があります。

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人生の価値・人間の価値を学歴1つに限定してしまうことは、いざという時に自分の逃げ場所が無くなってしまいます。

そして、自らの価値観と視野を狭めてしまうと、この世や人間がもついろいろな良い側面に目を向けないようになり、その側面を味わう機会を放棄してしまうので自身の人生の幅がいちじるしく狭まるようになってしまいます。

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